
最近、こちらの本を読んだよ。女性登山家・田部井淳子さんの「それでも私は山に登る」

田部井淳子さんて?聞いたことがあるような気がするけど。。。

田部井淳子さんは日本の登山家で、女性として世界で初めて世界最高峰「エベレスト」および「七大陸最高峰に登頂に成功した人だよ。

凄い人なんだね!
でも。。。登山にあまり興味がなくても読めるかな?

田部井淳子さんはたくさんの本を出しているけど、この本は癌と向き合いながら、人生をどう生きるか、そういった部分も描かれているので、山に興味はある方はもちろん、そうでもない方でもおすすめできる一冊だよ。
田部井淳子さんは、東日本大震災の後に『「山で切羽詰まった時、つまり土壇場に立たされた時、どう行動したか」そういったことを本にしたい』と出版社から要望を受け、その執筆のさなかに腹膜に癌が見つかったんだって。医師からは「余命三か月」と言われ。。。

登山家であり、母であり、妻である田部井淳子さん。
本書「それでもわたしは山に登る」より、心に響く言葉をご紹介させて頂きます。
田部井淳子さんについて
田部井淳子さんは日本の登山家で、女性として世界で初めて世界最高峰「エベレスト」および「七大陸最高峰に登頂に成功した方です。1939年・福島県生まれ。既婚、一男一女あり。
息子の進也さんによると、山の偉人は「家では普通のお母ちゃん」だったとインタビューでは語っています。南極最高峰を登る為にコツコツと500円貯金をしていたというエピソードも。
登山の原点は、小学4年の時に登った那須連峰だったそうです。運動が苦手だった彼女は、その時「遅くても一歩一歩進めば目標を達成できる」ということを体感し、そこから山にどんどん魅かれていったそうです。

「遅くても一歩一歩進めば目標を達成できる」
心に留めておきたい言葉だね!
「元祖山ガール」として、登山の楽しみや魅力をたくさんの人に伝え、また国内外で清掃登山を始め、山の環境保全への啓蒙活動にも力を注ぎました。
晩年は病と闘いながらも、東日本大震災で被災した高校生たちと一緒に富士山に登ったことは、多くのメディアでも取り上げられ、ご存じの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
2016年5月、インドネシアのクリンチ山が最後の海外登山となりました。この後、「残された時間を日常生活にあてよう」と抗がん剤治療をやめ、7月には東日本大震災で被災した高校生たちと富士山頂を目指します。
前日に胸にたまった水800ccを抜いた翌朝、病室から登山口に向かいましたが、途中、足が上がらなくなり断念しました。その年の10月にお亡くなりになっています。
「それでも私は山に登る」より
こちらの本は、第1章「山から学んだこと」第2章「それでもわたしは山に登る」の二部構成になっています。
1章では天山山脈とムール峰(7439m・中国)を断念したことや、谷川岳一ノ倉沢で目の前で転落事故を目撃したこと、また、真っ暗な中、岩から落ちないように立ったまま一晩過ごしたことなどが書かれています。
そして2章の「それでもわたしは山に登る」では、闘病記録とともに病気や家族、そして自分との向き合い方が丁寧に綴られています。

病気との戦いも、辛いことも、ただひたすら受け止め前に進もうとする姿。田部井淳子さんの言葉とともに本についてご紹介させて頂きます。
田部井淳子さんの心に響く言葉
生まれ落ちてから70年余年もたてば、人はいろいろな経験をする。それぞれに喜びも悲しみも悔しさもまちまちだが、「まさか」と思うことだって少なくないはずだ。順風満帆に見える人でも、だれにも言えない不平不満や後悔はあると思う。
「それでも私は山に登る」まえがきより
歩けるうちに歩いておく。生きているうちは一分一秒でも楽しく、やりたいことをやって生きぬけたい。山に行く女も病にかかります。しかし、かかっても歩き、登り、歌い、食べ、笑い、故郷のために少しでも力になりたいと思っているのです。
「それでも私は山に登る」まえがきより
「偏らずに見る」何も問題がない日はないというほど、遠征は毎日毎日が戦いである。わたしの所へは、大きな問題も小さな出来事も、いろいろななことが持ち込まれた。わたしは偏らずに物事を見る必要があったため、できるだけいろいろな人の意見を聞くようにした。隊員たちの意見を聞いてあげることは、ストレスの多い共同生活のガス抜きのような意味もあった。
「それでも私は山に登る」より
声が大きい人には気をつけろ
「それでも私は山に登る」より
「山に近道はない」これは落とし穴だった。この時にわたしが、「皆も来た道に戻りましょう」と言うべきだったのだ。
「それでも私は山に登る」より。
不平を言う人には近ついていこう
「それでも私は山に登る」より
5年生存率は三割と言われる。しかし70歳を過ぎてかでよかったかもしれない。むろんなんでもないのが一番いいだろうが、若い時にこの状態になったらきっと落ちこんだかもしれないと思った。今まで動けるうちにいろいろなことをしてきたからだ。あまり悔いることはないなと思った。
あまりオタオタしていない自分に「そうだ、騒ぐな、オタオタするな。現状を受け入れ、一番いいと思うことをやれ」と言い聞かせていた。
「それでも私は山に登る」より
太ももが上がらない。ひざに力が入らない。息が切れる。。。つらいことはたくさんあったが、山に来られたといううれしい思いのほうが強い。
「それでも私は山に登る」より
「つらくても山」副作用がなくなったら楽になるだろうが、これも生きている証拠の一つ。副作用真っ最中でも考えることは前へ、前へだ。
「それでも私は山に登る」より
エベレストを見れば多くのことが思ひ出され、チョー・オユーを見れば母のことを思い出させる。思い出せることがたくさんあるのは幸せなことなんだ、とは今は思える。
「それでも私は山に登る」より
もしも、わたしの人生にエベレスト発登頂がなかったら、どんなふうになっていただろう。一番乗りを目指して行ったわけではなかったが、結果として「女性世界初」になってしまった。
わたしの力ではない。一人で行ったのではなく仲間と共にできたことなんだ。広く支えてくれた多くの人たちのお陰だ。このことを決して忘れてはいけない。驕ってはいけない、とわたしはずっと自分を戒めていた。まわりがちやほやする時ほど冷静に、平静にいることだ。
「それでも私は山に登る」より
思えばいい年代に生まれたものだ。戦争経験も少しある。防空頭巾をかぶって防空壕に入ったことも覚えている。物のない時代も味わった。
「それでも私は山に登る」より
山が好きになり、登り続けてきたことで今のわたしがある。
副作用にもめげずに、まだ行っていない所に行き、見ていないものを見よう。国内の山もまだまだ行きたい所がたくさんある。東北応援ハイキングも被災した東北の高校生の富士登山も、自分が動けるうつには続けたい。力尽きるまで自分のペースで楽しく突き進む。これがわたしのやり方だ。生きていることはやっぱり楽しい。歩くことが生きることだ。目の前にある今を精一杯過ごす事が、私の歴史になってゆくのだと思う。
「それでも私は山に登る」より

淳子さんを支えるご主人の政伸の姿にも心が温かくなりました。
また「てっぺん 我が妻・田部井淳子の生き方」も読んでみたいな。

目の前にあることを精いっぱい過ごすことで、ふと振り返ったらら道が出来ているんだろうね。

そうだね!世界一貧しい大統領「ホセ・ムヒカ」氏も
「人生の成功とは、勝つことではなく、転ぶたびに立ち上がり、また進むことだ」とメッセージを送っているよ。